発売から1年近くが経っちゃっていて、アメトーークで又吉さんから紹介されてからもだいぶ日が経っちゃっていて、「今売れてる本」というにはちょっと無理やりな感はありますが・・・。

読みました。西加奈子さんの「サラバ」。

書店ではいまだに文芸書のランキングコーナーなんかで上位として展開されています。もう読んでる方がほとんどなのかもしれませんが、改めて詳しめのあらすじ、感想を記しておきます。


で、先に結論を言っておくと、僕がこれまで読んだ本史上3本の指に入る、なんなら現時点で世界一好きな作品となりました。ほんとにとんでもない作品です。「サラバ」。

サラバ! 上
西 加奈子
小学館
2014-10-29

サラバ! 下
西 加奈子
小学館
2014-10-29

 

■物語のあらすじ、ストーリー(超ネタバレ)

まずは作品のあらすじから。ちょっと詳しめに書いたのでネタバレ度超高いです。

・主人公 幼少時代
 
物語は、主人公の年齢に沿って、ストーリーが進んでいく構成がとられている。
 
イランで生まれた主人公、歩。紆余曲折あり、明らかに人格に難のある姉と、これまたクセの強い母と優しい父に連れられてエジプトで暮らすことに。そこで家族は一時「黄金時代」を築くことになるが、ある一通の手紙がきっかけで父と母が衝突。姉の不安定さも相変わらずで、家族に不穏な空気が立ち込める。

そんな中、歩はエジプトでの生活に慣れ始め、親友と呼べる友達もできはじめる。とくに街のスーパーで偶然出会ったヤコブは彼の大親友となり、毎日のようにカイロの街を駆け回る。この時に二人の合言葉が「サラバ」が生まれる。二人はいつも「サラバ」を唱え、この言葉を信じて日々を過ごす。

しかし歩の家族の「不穏」はいよいよ大きなものとなり、ついに家族は帰国を余儀なくされる。歩は大親友ヤコブとの別れを大いに惜しみ、別れの日、ナイル川のほとりで二人は涙を流す。

・中学、高校時代

どこにでもいる平凡な、「イケてる」中高生となった歩。

人並みに恋愛をし、人並みに青春を謳歌し、一見幸せに満ち足りた彼であったが、自身の家族の異質さだけが心に影を落とす。父と母は別居し、姉は高校にいかず家に引きこもる。さらに姉は、古くからの知人である矢田のおばちゃんが教祖的な存在として君臨する「チャトラコヲモンサマ」の重要人物として施設に出入りする怪しげな存在に成り上がる。

一方で、歩は高校サッカー部のチームメイトである須玖と意気投合。高校生離れした文化的造形の深さと清く優しい心を持つ彼に歩はすっかり虜となり、彼女そっちのけで須玖と過ごす時間が増える。しかし神戸で起きた阪神淡路大震災が須玖の心に深い影を落とし、須玖は高校に来なくなり、歩も彼とは疎遠になる。そして互いに連絡をとることもないまま高校を卒業してしまうのであった。

・大学入学、卒業、売れっ子ライターへ

これまでの人間関係から逃げるように東京の大学に進学した歩。入学直後の女遊び、映画サークルへ通う日々、年上の美人の彼女、レコード屋でのアルバイトなど、相変わらず人並み以上の青春を送る彼は、就職活動をすることなく、レコード屋アルバイトでのつながりから雑誌の記事を書くライターとなる。大学卒業後も彼はますますその名声を大きなものにし、世界を飛び回りながら各界の著名人たちと顔を合わせ記事を書くような存在となる。

大学在学中も、大きな出会いがひとつあった。所属する映画サークルに突如やってきたヒッピー系ファッションの美女、鵜上である。彼女は酒に酔うとすぐ男と関係を持つ癖があることから、歩以外の映画サークル会員全員を喰い、サークルを瓦解させてしまう曲者。しかし歩とは不思議に馬が合い、定期的に飲み歩く存在となる。
しかしやはり彼女とも、大学を卒業してからは疎遠になり、連絡を取り合うこともなくなってしまった。

・姉の奇行、転落

きっかけはやはり家族、というより姉であった。「チャトラコヲモンサマ」瓦解後に父に連れられて国外にいた姉が帰国し、都内各所で巻貝のオブジェを置く、という奇行を繰り返し、アングラ界でにわかに話題となっていたのだ。成功の階段を登り続けていた歩は、それが自身の姉であることが世間に知られることにとてつもない恐怖を感じていた。

そのプレッシャーに耐えかねた彼は、ついに恋人に(大学時代とは別のカ、年上のカメラマン)全てを打ち明ける。両親が幼いころ別れたこと。不安定な姉にずっとおびえ続けており、都内でまた奇行を繰り返していること。

しかし、彼女はそんな歩を裏切る。「自分のキャリアアップのため、『心に闇を抱える女性がなぜ巻貝を置き続けるのか』といった副題でお姉さんの写真を撮らせてほしい」と歩に迫ったのだ。歩はそれを拒否するが、彼女は歩に無断で歩の名前を使い、姉に写真撮影を依頼する。
それを雑誌に掲載した彼女は思惑通り大きなキャリアアップを果たすが、被写体である姉自身はネットで大きく叩かれ、心を折り、再び自分の殻に閉じこもることになる。

また、このことで心に大きな傷を負った歩は、なんとストレスのあまり髪の毛が抜け始める。それまでその甘いマスクで女性たちを魅了してきた彼は、その心労も重なって一気に自信を失い、それと同時に仕事を断り始めるようになってしまう。

・さらに転落、姉の帰国

家に引きこもりながら限られた小さな仕事だけをこなす歩。30歳を超えてますます抜け毛は進み、身体もたるみ切った彼は、なんと高校時代の親友、須玖、鵜上と再会する。定職に就かず時間を持て余し、趣味を同じにする彼ら彼女ら三人は意気投合し、頻繁に会うようになる。彼ら彼女らと会う時だけ、歩は現実を忘れられた。

そんな折、引きこもり生活脱して海外を放浪していた姉から「夫を連れて実家に帰る」との連絡がくる。自身の転落の元凶である姉からの突然の連絡に、動揺する歩であったが、実家で出会った姉は、それまでとは別人のように明るく、洗練された空気をまとった女性となっていた。それまで衝突し続けていた母とも打ち解け、完全に生まれ変わった姉。転落し続け、どん底でうずくまる歩は彼女に憎しみすら覚えるが、そんな彼女からこの言葉を投げかけられる。
「芯を持ちなさい、歩。」
「歩、あなたは、信じるものをみつけないといけない」
「あなたが信じるものを誰かに決めさせてはいけないわ」
これまで自分、家族をさんざん振り回した姉の言葉に怒り、しかし同時に大きく動揺する歩は、逃げるように実家を後にした。

・父母の真実

姉から投げかけられた言葉が心に残り続ける歩。須玖と鵜上すらも避け(二人は交際していた)、引きこもる彼は、姉の勧めにより、父と再会。そこで衝撃的な真実を知ることになる。

父はかつて、母とは別の女性Kとの結婚が決まっていた。しかし土壇場でKと別れ、母と結婚してしまった。Kと仲の良かった母は、「なにがなんでも幸せになる」という覚悟を決めた。父が海外に渡り、がむしゃらに仕事をしたのもKへの申し訳なさを忘れるため。しかしカイロ生活の最中、Kから「ガンになった。最後に会いたい」との連絡が入り、父はKに会いに行った。Kはその1年後死んだ。

父はショックを受け、「自分は幸せになってはいけない」と覚悟を決め、母はそんな父を非難し、二人は別れた。父は一切の幸せを拒否し、母、娘、息子に自分の資産の全てを与え、定年後出家し、俗世を捨てた。

・震災、エジプトの混乱、エジプトへ 

父母の真実を知り、歩きだしたい、何かを変えたい、という思いが強くなる歩。そんな時に起きたのが、懐かしの地、エジプトの混乱、そして東日本大震災であった。
部屋に引きこもりながら次々と目に入る衝撃的な情報の波。時に嘔吐しながらも情報を集めつづける歩は、あるニュースを目にし、エジプトへ行くことを決める。

「エジプト コプト教徒の教会襲撃される」

エジプト人の大親友ヤコブはコプト教徒だった。

エジプト、カイロに降り立った歩は、奇跡的な偶然が重なり、ヤコブと再会を果たす。ヤコブの家族とも再会し、涙を流しながら祝福を受けた歩はヤコブと二人、少年時代にヤコブと最後に分かれた場所、ナイル川へと向かう。そしてその場所でヤコブからあの合言葉、「サラバ」を聞き、歩は全てを悟る。自分の信じるものを。そして受け入れる。自分のこれまで過ごしてきた時間という化物を。



■思ったこと

・・・というかんじのあらすじです。どうなんでしょうか。作品を読んだことない状態でこのあらすじだけ読んでも、かなり面白そうだなと思える内容だと思うんですが。

で、以下、読んで思ったこと、感想をざっと書いていきます。


■エジプトという国

個人的な話で申し訳ないんですが、僕、学生ん時初めての海外旅行でエジプトに行ってるんです。友人と2人で、北部カイロから最南端アブ・シンベルまで、名所をまわるかんじです。
言って10日くらいしかいなかったし、筆者の西さんに比べたら(幼少時エジプトに住んでらっしゃったそうです)エジプトという国についてなんてほんとに上っ面の知識しか持ってないわけですが、それでも言わせてほしい、この作品におけるエジプトの描かれ方は本当に素晴らしい。

ナイル川を泳ぐフルーカたち、エジプト人たちの憎らしくもめちゃくちゃに人間臭い気質、ピラミッドのでかさ、時間になると街を流れるアザーンの音、スラムに住む人々と対峙した時のあの複雑な気持ち、そしてなによりも、何かに対して無心になって祈る人々の美しさ。

 あの国の、良いところも悪いところも含めた特徴?空気をあんなに生々しく、緻密かつ魅力的に描いてくれるなんて、と西加奈子さんへの評価を勝手に新たにさせていただいたのであります。
 
■小学生 中学生 高校生あるある

「漁港の肉子ちゃん」なんかでも顕著ですが(すみませんこの2作品しか西さん作品読んでないんです)、10代の青少年の心情や葛藤の描写が大変リアルで、それでいて刺さる内容なんですよね。この作品で言うと、幼稚園時代のクレヨンの話や、中学高校時代の恋人との付き合いかた、スクールカーストの中での振る舞い方など。いずれも心当たりがある、あるいはそういう人を見てきた、といった方がほとんどではないでしょうか。

この作品においては、これがあるが故に物語に怖いくらいのリアリティが与えられ、他のストーリーの説得力が増し、キャラクターへ感情移入できる、という形になっているなと感じました。

■音楽 文学 映画 に触れるということ

これも物語の核ではないのですが、大変印象的でした。主人公歩は作品の中で、高校時代に親友須玖を通して音楽・文学・映画の世界に深く潜ることと出会い、その時からずっと自分の重要な位置にそれらがあるような人生を送ることになります。

高校時代は家族、家への不満、モヤモヤから逃れるために音楽映画文学の世界に須玖と共にもぐりこみ、大学時代は映画サークルで鵜上と出会い、その後はそれらを語ることを職業にし、どん底の引きこもり時代にはずっと本を読みつづけ、自我を保ちました。

そうやって音楽や文学に寄り添うことによって僕達が得られる力について、この作品を読むことで改めて気づかされるのであります。

■人との出会い それが自分に与える影響 
 
この作品では、本当に数えきれない数の登場人物が主人公と接触します。そして、八田のおばちゃんや歴代の主人公の恋人たちはもちろん、例えば幼稚園時代の爬虫類顔の女の子や、中学時代の彼女の友達や、学生時代のアルバイト先の店主のようにほんの数シーンでしか登場しないようなキャラクターが強烈なインパクトを残し、その後の主人公の人格、行動を左右していたりする。それが本当に面白い。

思い返してみれば、たかだか25歳の僕であっても、今の自分がふとした時に思い出すのは、あるいは自分の好きなものや行動、話し方や態度は、誰かしらそれまで出会った人たちを見てコピーしたもの、あるいは反面教師としたものに他ならないな、と思ってしまいます。言い方を変えれば、自分の中のヒーローのような人に出会った時のあの感覚、そしてそれに引っ張られて自分が変わっていく感覚というか。

例えば人間関係で少し失敗したなあ、と思った時に脳裏に浮かぶのは小学生の時にひどい言葉を友人に吐いてしまったあの時の友人の顔だった、とか。さっきまでiPhoneで聴いていた曲は高校生の時に友人がカラオケで歌っていたものだったな、とか。仕事でなにか重要な判断を迫られた時に思い出すのは、学生時代の先輩がくれたあの言葉だったな、とか。

そういった人との出会いの面白さ、大きさのようなものを、歩という主人公を通してもう一度思い出させてくれるのです。僕は、この作品を読んみながら、おおげさですが、「そうか、人生の意味とか生きる意味ってこういうことだったのかな」というような気持になりました。

■信じるとは
「芯を持ちなさい、歩。」
「歩、あなたは、信じるものをみつけないといけない」
「あなたが信じるものを誰かに決めさせてはいけないわ」
「信じるって何?」
歩の姉は、歩がどん底にいる時、歩について「身体の幹のようなものがない」と指摘し、そしてそれは「信じるもの」を見つけられていないからだ、と言います。要は、いつ何時も揺るがない、信じるものを持て、という話です。これがまた、刺さった。

「信じる」とか宗教チックな言葉を使うと、僕達日本人には何か少し抵抗を感じます。でもそんな言い方ではなく、「なにか自分の中で揺るぎないものがある人は強い」という言い方をすれば、すとんと心に収まります。そして例えば主人公にとってはそれが「サラバ」という言葉、あるいは「サラバ」を思い出すまでに歩んできた時間そのものだったわけです。

この情報過多の時代において、僕達日本人に(あえてそういうくくりにしちゃいますが)どれだけそんな人がいるんでしょうか。

恋人との愛?友人との友情?あるいは家族愛?あるいは宗教?あるいは僕には全く思いつかないような別のもの?

とにかく、自分の芯?考え方の核?になるようなものを持ちなさい、と諭す姉のセリフは、本当に心に響きました。

■家族について この世に生まれるということについて

僕達には家族がいます。どんな人にも、少なくともこの世に生まれ落ちた瞬間には家族というものがいました。そして僕達は、望む望まないにかかわらず、絶対に家族の影響を受けざるを得ない運命にあります。その事実を改めて認識し直すことになりました。
まるきり知らない世界に、嬉々として飛び込んでいく朗らかさは、僕にはない。あるのは、まず恐怖だ。その世界に馴染めるのか、生きてゆけるのか。恐怖はしばらく、僕の体を停止させる。
そして、その停止をやっと解き、背中を押してくれるのは、諦めである。自分にはこの世界しかない、ここで生きてゆくしかないのだから、という諦念は、生まれ落ちた瞬間の、「もう生まれてしまった」という事実と、緩やかに、でも確実につながっているように思う。
(「サラバ」冒頭より引用) 

芥川龍之介の「河童」という小説に、河童の世界では、これから生まれようとしている子河童には、そもそもその浮き世に生まれ出たいか否かを選択する権利があり、場合によっては生まれることを放棄することもできる、といった描写があります。これはそもそもこの世に、この家族から、こんな時代に生まれたいなんて頼んだ覚えは誰もないのに僕達は生まれてきてしまったんだ、ということを芥川氏が我々に示した描写なんだそうです。

主人公歩は、家族というものに大きく揺さぶられ続けながらその人生を歩んでいきます。彼が幼少期に「サラバ」と出会ったのも、20代後半から転落の人生を歩んだのも、そして再び「サラバ」に出会ったのも、全ては家族という存在によるものでした。

僕はどちらかと言えば、良い家族に恵まれ、家族によって自分の行きたい道に進めなかったとか夢をあきらめなければならなかったとかそんな思いをしたことはありません。でもそんな僕ですら、時によその家族をうらやましく思ったり、自身の両親がもっとこうであったら、というないものねだりな幻想を抱いたことがありました。

でもそんなことを思ったって仕方がないんです。望んでなんていなくても、「もう生まれてしまった」んです。その事実を諦め、そして毎日生きていくしかないんです。と、この小説から繰り返し言われたようなかんじがしました。



■まとめ

といった具合で、でっかく「人生ってなんだろう」とか「生きていくってどういうことなんだろう」とかそんなことを考えさせられる、本当にすごい作品でした。帯にある「これは魂ごとあなたを『持って行く』物語」というキャッチフレーズは大変的を得てると感じました。どんな人にも自信を持っておすすめできる作品です。

西加奈子さんについて俄然興味がわいてきたので、ちょっと他の作品もいろいろ試してみようかなと思いました。とにかく、はんぱじゃなく面白かった。