そもそも「ロキノン系」って、何なんだろう。

音楽の1ジャンル?でもTSUTAYAに行っても、タワレコに行っても、別に「ロキノン系」なんて棚があるわけじゃない。

「音楽雑誌『ROCKIN’ON JAPAN』に紹介されているアーティスト」?「ロック・イン・ジャパン・フェスティバルに出演しているアーティスト」?
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じゃあユニコーンも筋肉少女帯もPerfumeも泉谷しげるも椎名林檎も、みんな「ロキノン系」なんでしょうか。


それもちょっと、違う気がする。

どうやらこの言葉、定義そのものがかなりふわふわしてしまっている様子です。

実際に、ゼロ年代を代表するロックバンド、アジカンのゴッチ氏も、自身のTwitterで、以下のように発言しております。





そんな「ロキノン系」。リアルではそうでもないのに、ネット上ではしばしばひどく叩かれます。


試しに一度、「ロキノン系」でググってみて下さい。

いかがでしたか?
この記事や、この記事を見る限り、かなりネガティブなとらえ方をされてしまっています。
このワードを用いている時点である程度のフィルターがかかっている言え、非常に寂しい限りです。

これはいったいなぜなんでしょうか。


僕は単純に、「ロキノン系」支持者と2ちゃんねる等「ネット世論」を形成する人々とが、決定的に馬が合わないからなんだろうと考えています。

これは前出のNEWSポストセブンにある一文です。

「ロキノン系を好きな人間って、基本的に“自分らしさ”とか“感性”、“自分の世界観”とかを重視する人が多い。ロキノン系の曲を聴いて、『これは俺のことを歌ってくれてるんだ』と自己投影するタイプです。 」 


「王道ルート」を歩めない 「ちょっとひねくれた若者」が「ちょっとひねくれた音楽」を聴いて自分の世界に浸る。
フェスでは派手な色の服を着て個性を主張し合いつつ、「自分らしさ」「世界観」を共有する。

これを漠然と「気持ち悪い」と思ってしまう人々が一定多数いて、彼らがしばしばファンではなく、この雑誌に登場するアーティストそのものを「キモい」「ダサい」と揶揄してしまう。

このような流れによって、ネット上で「ロキノン批判」が膨れあがってしまうんじゃないでしょうか。
 


(一部識者の間で、ロッキングオンという企業そのものが、度々「商業主義的で実体がない」と批判されており、それが「ロキノン系」批判につながると考えることもできます。しかし前出の記事を見る限り、ネット上での「ロキノン系」批判はそれ以前の、もっと感情的なロジックの下で形成されていると感じます。)



僕は、この流れを経てロキノン系を意図的に避けてきた人にこそ、このブログを読んで欲しいんです。

 


「ファンがキモい、受け付けない」そんな理由で、日々新しい音楽を作り続ける若いアーティストの楽曲を聴かないのは、非常にもったいない。

音楽を支持する若者なんて(たぶん)今も昔もそういうもんだし、若者なんてこじらせてなんぼでしょうが。

いい曲はいい、嫌いな曲は嫌い。

それでいいじゃないですか。


僕の思う「ロキノン系」アーティストの魅力、というより定義は、これです。

 常に「唯一無二の新しさを探している」こと。
 

まあほとんどのアーティストがそうなんでしょうけど、僕にとってはこれが、彼らを追いかけずにはいられない理由なんです。

 ただ売れたい、有名になりたいと思うなら、もっとその時期のトレンドを察知して、それに乗っかった音楽を作る。でも彼らは常に「新しさ」「自分らしさ」を求める。それが時に、なんじゃこりゃー!っていう音楽を作り出すんだと思うんです。


ぜひ曲聴いて、ライブ見てみて下さい。あの雑誌、あのフェスに出てるアーティスト、いい曲いっぱい作ってますよ。


「ロキノン系」アーティストの楽曲を、少しでも多くの人に聴いてもらいたい。聴いている人には、もっと 好きになってもらいたい。他のお気に入りを見つけてもらいたい。

僕はそんな思いからこのブログを立ち上げました。 

ご一読いただければ、幸いです。